HSP・Highly Sensitive Person

先日偶然ツイッターで「共感性羞恥」というのを見かけて、非常に気になった言葉だったのでもしや?と思い検索をかけてみたら、HSPというのに行き着きました。

ちょ、ちょ…!とキンドルで関連本を1冊購入し、読みました。途中でやめることが出来ませんでした。

おそろしいくらい自分に当てはまり、小学校入学と共に感じ始めた生き難さや窮屈さ、不登校一歩手前の連日微熱に頭痛、金属アレルギー、二十歳を越えて症状が出た紫外線アレルギーなどがシネマ●ィックレコードのように溢れました。

ぼろぼろと目からヨダレがΣ(꒪ȏ꒪) 止まらないッΣ(꒪ȏ꒪) Σ(꒪ȏ꒪)

それが一昨日の事でして、貪るような気持ちで昨日今日と関連書をもう3冊購入しました。

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長くなりそうなので、続きに閉じておきます。(※スマホ表示でご覧の方は、そのまま表示されてしまうようです…ゴメンナサイ;)

私が何を言っているのか分からない方のほうが、一般的には多いそうです。「なんだコレ?」と思われましたらソッと閉じて忘れて下さいネ(◍•ᴗ•◍)文章のまずさ、脱線はスルーしてネ。

私は学校という場所に毎日行くことの意味が分からない子供でした。

入学して初めの頃は、新しい世界、登下校や新しい友達、勉強道具などが物珍しくて楽しかったのです。たぶん。

それが翳りだしたのはわりと早いうちだったと思います。小学一年のうちに、もう休み癖がついていたのかな。

当時の正確な記憶はありませんので現在の自分が思い返す記憶でお話するしかないのですが、「勉強の概念が分からない」といいますか、早い話が長女で甘やかされて育った落ちこぼれだったわけでありますが「勉強どころではない」というのが正直なところでした。

授業中なのにクラスがざわつき、怒鳴ったり静かになるまで待つ先生がおそろしくてたまらなかったのです。まあ、甘やかされの象徴ですよね(´∀`;)

その頃から大きな音や刺激や急激な変化が苦手だったのだろうと思います。叱責の効果を上げるためにしばらく黙っていて、突然怒鳴る先生は特に天敵。溜め の間がもう怖くて怖くて耳を塞いだ事も一度や二度では。

そのくらいで?と思われるかもしれません。授業中なのにうるさいのだから先生は叱りますよね。そしてうるさくしている生徒は自分ではないから当事者だけ怒られるんでしょ?って思いますよね普通。

でも私は“授業中”という動けない逃げられない場所にいるガケっぷち感を常に感じ、形容しがたい恐怖と、早く時間が過ぎてくれという切実な祈りを抱き、私は静かにしているよ先生!というナゾの沈黙自己アピール眼力を送り続けていました。キモチ悪かったでしょうね先生は…私メッチャガン見してたと思うんですよ。

それと同時にもしかしたら私は、先生の苛立ちを自分に取り込んでいたのかもしれません。

本を読んで知ったのですが、HSPには人が発する感情エネルギーを自分のものとして感じてしまうようなことがあるそうです。

その取り込んでしまった負のエネルギーを、自分でどう処理していたのかはハッキリ分かりません。ただ心の表層に現れていた思いは、端的に言うと「先生ごめんなさい」でした。

とにかく先生に申し訳ない、こんなクラスで、授業が出来なくて、普通じゃなくて、とクラス委員でも校長でもないのにそんなことばっかり考えてひたすら萎縮の日々でした。意味が分からないですよね。お前誰なんだよっていう(´∀`;)

そこにまた先生の負エネルギーを取り込んでしまうもので、何も手に付かず勉強はドンドンワケワカメチャンになっていって、中学入学早々には数学5点とか取って華麗に呼び出されました( ˘ω˘ )

小学校半ば頃から、叱責パターン予習なるものを自分で編み出していました。

前日に時間割を見て、「こことここは確実に先生が怒るな、ココは大丈夫かも、あ~でも明日は怒る先生(=うるさくなる授業)が多いなァ」という感じで。予想が外れたとしても大体に於いて叱られない日はなく、そのうち「行きたくないな~」と思うと朝に熱が出るようになりました。頭痛とのお付き合い開始もこの頃でしょうか。

出るのは微熱でしたが、「行きたくない」が一番なので超絶しんどいフリをして…仮病に近いですけど私にとっては完全に全身のスイッチがオフになっている状態なので、もうあの空間に登校するなんて信じられないことなんです。

しかし一度、甘かった父もついには「今からでも行け!」と2、3時間目くらいの時間に私をひっぱり登校させたことがありました。(ウチは自営業でした)

親不孝だなーと今となっては思うのですが、その当時の私の混乱は大変なものです。混乱と羞恥とでパニックでした。クラスの皆は「もう体調大丈夫なの?」と案じてくれましたが、私の顔は引きつっていたでしょう。
自分で決めた予定以外のことを急に入れられることが超絶苦手でした(あ、今でも)。自分で決めたことであってもその時間が近づいてくると動悸がしたり、グループで遊びに行く予定を何度もドタキャンしたこともありました。当時の友人ごめんよ;;;

学校に行かなきゃイカンという思いは常にありましたんで、行くと決めた日は ぅおああああああ戦場出陣じゃぁァァァコラアァァアア!!!くらいの気負いで登校していたもので、鎧兜無しでいきなり戦場に放り込まれた心中お察し頂けると幸いです( ˘ω˘ )

とにかく行きたくなかったんです。ある時ある先生は、キレたのか次の授業をつぶして2限連続で叱責タイムしたりですね。その間私はもう生ける屍ですよ。魂飛ばしてでも乖離できればよかったんですけど残念ながら私にそんな秘めたる力はなかったです。

仮病に近いことで休む事にずっと罪悪感があったので、あるときオフロの時に水シャワーあびてロクに拭かないで髪も乾かさず、フトンもかぶらないで寝た事がありました。そういう事した時にはナゼか熱は出ないもので、気持ち悪さで朝を迎える残念な結果に終わりました。某日常アニメでほぼこれと同じことをしていたあの子を見た時、笑えませんでした;


叱責のたびに「もっと普通に出来ないの!?」「ほかのクラスは普通に静かにしてるぞ!」と言われ続けたことで、私は今もまだ「普通」の呪いにかかってる気がします。それと集団に対して脊髄反射で警戒心を抱きます。
それと小学六年の担任教師が放った「あの鳥の群れを見ろ。きれいに並んでるだろ。お前たちは鳥以下だ」は今もなおスポットライトを浴びて私の中で禍々しく輝いています。鳥の群れ見るたびにノスタルジックな痛みとともに思い出しちゃうんだぞ。

熱が出ると内科へ連れていってもらうの繰り返し。あまりに頻繁に同じような症状で受診するので一度ドクターに「何か悩みがあるの?」と訊かれました。そこがもしかしたら私VS学校のブレイクの瞬間だったのかも知れませんが、後ろに母親が立っているのでなぜか何も言えずに終了でした。「いえ…何も…ありません…_:(´ཀ`」∠):_」


なぜ自分はこんなにしんどいんだ、うるさくもしていないのになんで怒られるんだ集団なんか嫌いだ!!と鬱々としたまま休み癖は改善されず、その後も不登校レッテル手前まで休み続けるわけですが、この休み続けたことと「普通であれ」というのと中学で出会う同人が、今に至るまで私をトランポリンジゴクに誘います。


中2で同人に出会いました。そういう情報に明るかった友人に連れられ、鬱々とした日々の中に突然開けたアルカディアの門は、自宅から電車で1時間ほどの農協ビル一室で開かれていた100ちょいスペースのオールジャンルイベントでした。

母の影響で絵を描くことが好きだった私は、のめりこむように、また日常を振りきるようにそこでの友人の幅を広げ、お姉様方の輪にもお邪魔し、コスプレをし、自サークルで便箋を作り出しました。

しんどすぎる学校生活とキラッキラの同人界(売れてたわけではない)、アッサリ大きなつづらを開けてしまった私はついでに腐り始めてつづらと一緒に果てなき坂道に転がり出しました。

当時はペーパーや奥付に自宅住所を載せるアナログ時代でした。繋がりたい時に手紙を出し、ワンクッション置いてから返事をもらったりできる同人のお付き合いは疲れないし心地よさばかりでした。ほぼ年上の方ばかりというのも私に合っていたようです。
イベントでは、集団に属しているようで個人主義も通るような、「私」を見てもらえる理想とも思える世界でした。それに、幸いにして家族は私の同人活動を咎めたりしなかったのです。
今のネット社会も、私のようなHSPには心地よい世界です。マイナス面が多く取り沙汰されるネットですが、同人界しかしらない私にはとても居やすい場所と思えます。

そうやって同人に逃げた中学時代、相変わらず熱を出しながらも自室にこもって原稿をやったり(家族が部屋に近づく足音がするとフトンにイン)している間も「学校にいかなきゃなあ」との思いはあって、さすがに中学3年の一年間は受験のこともありほぼ休まずに登校しました褒めてヽ(•̀ω•́ )ゝ✧ ドヤァ

私が行った中学は、やんきーくんが自転車で廊下を走ったりキンパツ短ランボンタンが拝めたりするようなトコでした。途中でいなくなった子もいたな…

しかしむしろそういう子たちは授業に入ってこないので、逆に小学校の時よりは平和な授業が多かったと思うんですけど、入学してからずっと先生方は「学校正常化」に取り組まれててプリントも配られたりして、「また“普通”じゃないのか…」との負い目が私個人レベルでありました。

私レベルで考えるようなことじゃないんじゃないですかね?と若かりし自分に言ってやりたい。

でももう考えるのをやめた感じの私は「普通になりたい」の思いに固執し始めてました。普通とはなんぞや?

わりと私のいた学年は評判がよく、卒業式をまともにできたと先生が泣くような学年でしたので自分的にも「高校はもっと普通で楽しいに違いない!」とテンションマックスでの合格発表確認、そして入学でした。


玉砕でした\(^O^)/


高校では、私が属した学年は“稀に見る崩壊学年”と言われたのですチーン…

頭痛発熱の頻度はひどくなり、先生は相変わらず怖いし、若い女性の新人先生は泣き出してしまったりというのもあって、私のめんどくさいメンタルは疲弊しきってしまいました。それでも登校時間はやってくるもので、当時たまらずに吐き出すようにつけた日記の一部を見ると「水木金と休んだし土曜日だから行けるかな」というようなペースでの登校などありました。(父母ごめんなさい!)

教師が泣くなんてよほどのことだと、胸に痛みを覚えました。比喩でなく、高校の頃は微熱頭痛に加えてたびたび胸痛も感じてました。けっこう痛かったんですよこれが。
先生の、ついに堰を切ってしまったのであろう涙を見るのがつらすぎて、先生ごめんなさいという例の思いと、まずいという表情をしつつもどこかヘラヘラしている当事者生徒に憎しみすら抱いた記憶が。

学年ごとに撮る集合写真の私は、確実にオデブに成長してました。
たいして勉強も部活動もしていないのに疲れ果てるものだから、帰宅してからはストレスから開放された安心感もあって夕食前におやつドカ食いですよ。勿論夕食もガッツリいただく。月並みですが食べる事に逃げていたのですね。高校生の頃に80キロ目前までいきましたよね…それが今までのマックス(←ただの肥満の言い訳)
あとこれは遺伝かもしれないけど前髪の量が減ってたりですね。ずっと量が多いと悩んでたくらいだったのに、いざさらば私の毛髪よ。


何とか高校卒業して、関西の都市に出てきて、今に至ります。一応伴侶も得まして。子はおりません。

二十歳そこそこの頃に「どうも自分は生き難い、精神的な何かがおかしいのか?」と初めて思いつきました。それから医療機関を受診したり、しかしどうにもスッキリしないしオカネは出て行くしで今度は自分で自分をカウンセリングしようと交流分析カルチャースクールに通ったりしました。一時期はカウンセラーを目指したりもしました若気の至り。(スピリチュアル分野は苦手です;;)

そういったことも微力にはなりましたが、解決には至らず自分のこの打たれ弱さ逃げ癖はなんだろうとずっと探してきました。その間にも劣等感と普通への憧れは膨らみ続ける。

一人暮らしの忙しさと金銭面から同人はしばらくやめていたのですが、結婚してパートのみになってから時間ができ、ふと文章を書いてみたくなって携帯サイトを始めました。学生時代もちょろちょろ書いてましたので。

ここからがまた同人転落坂の始まりなのですが、いくつかジャンルを渡って素敵な出会いもたくさん経て、今のところで落ち着いてる感じですが拭い去れない劣等感と普通への思いはアメーバのように広がって密着して、めんどくさいことになってしまいました。

学生時代に学校から逃げて同人をやっていたので、同人=逃げ の考えが変えられないのです。作業してたらソワソワするんです。

加えて“子供も作らず好きなことをやるのは悪だそして普通じゃない”との強い思いがどうしても離れませんで。幸い子供に関しては、両親は他界していますし義父母親戚誰にも特に何かを言われることなく伴侶もそれほど希望していないようで。私自身が過剰に思い込んでしまっているのは分かっているんですがツライんです。心が勝手にツライんです。

イベント〆切前はそんな思いを抱えていては間に合わないので振り切るんですが、逆に〆切前のほうが没頭できてラクという面もあります。

HSP(忘れた頃に言葉をブチ込む)は自分のペースでひとりの時間を作りながら仕事をし、趣味にくつろぐのが生きやすいという人種らしいんですが、私はHSPでありながらそれをすると罪悪感と劣等感に身包み引っぺがされるという悪循環に陥っているかもしれないのです。

同人楽しい!で上昇し、こんなこと普通じゃない、やってていいのか…で急降下して、また上がってというトランポリンで体制崩したまま転がされてるみたいな日々です。お釈迦様の手の上かな。


HSP本に出会う前から、自分は自己肯定感が薄く自己と他人の境界線があやふやなのかなという考えには至っていました。

でも家では過保護なほどだったと思うし、自営業だから適度にほっとかれたりはしたでしょうけど祖父母同居だったし、常に誰かに抱っこされているような子だったみたいです。

おそらく学校生活が大きく影響しているのだろうと思います。HSPという答えに辿り着くまでに色んな本を読みましたが、どれもたいてい自己肯定感や自他の境界性の問題に関しては家庭での愛情不足という内容で、学校での叱責や私のようなパターンには出会えませんでした。

しかし一昨日から読んだHSP関連本2冊とも、愛着障害のコンテンツでは家庭環境についてのみ書かれていましたが全体を通しては私が探していたことが驚くほどピッタリに書かれていました。

解りすぎて1冊目では涙が止まらず、嗚咽が漏れるっていうんですかね、そういう状態が中々おさまらずに自分で引いてました。

ここまで書いといてですが、もしかしたら私はHSPではないのかもしれません。

ただ、現在の日本ではHSPは病気でなく医療対象ではなく、今のところ自己診断しかないようです。そして私は↑に上げた写真のキンドルのほうにある「内向型を強みにする」での30項目診断で×がつきませんでした。うーんどうかな?というのは2、3コありましたが。

金属と紫外線に対してアレルギー症状を起こしますし、冷え性、体温低め、扇風機の風が不快だったり空調に弱かったり、乗物酔いがひどかったりめんどくさいことだらけです。あ、食べ物は何でも食ベルヨ!

大勢の人の中にいた後は、ごくたまに、ひとりになってからも頭の奥で大勢が無秩序に大声で喋り散らしているような感覚に陥って動悸がします。たぶんその時の私はスタバァのトッ●ィみたいな顔になってると思います。

こういうの書くのは初めてなので、ほんと何言ってんだっていう感じになってますが大丈夫でしょうか(訊くな。



やっと答えが見つかったかもしれない嬉しさで突っ走って書きましたが…さあどうやって幕引きしよう…そもそもここまで読んで下さった方はいるのでしょうか。

私は学者でも専門家でもなくHSPかなと思ってるただの同人腐女なので、自分のことを書くしかできませんでした。

やっと解ったんだよぉー!って机の引き出しに飛び込んで過去の自分をハグしたい気持ちだったんですが、それができないのでこれを書きました。

勿論全部の出来事を書いてはいませんしそんなことしたらこれ以上に鬱陶しくなりますし、この辺で止めたいと思います(´∀`;)


お付き合い下さってありがとうございました。

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